イバン族ロングハウス編ロングハウスを訪ねて お客様;M.K様 ■関西空港からマレーシア航空で約5時間、コタキナバルで国内線に乗り換えると、乗客は地元の人と私の5人だけになってしまった。コウモリがさわぐ薄暗い空港を経由して、サラワク州のクチンに着いたときには夜9時を回っていた。 翌日、迎えに来たガイドのモハマッドさんとバンに乗っておよそ4時間、(途中の市場で食料を調達したり、華人が営む食堂でランチをとったりしたからそれ以上かかった)、さらにカフェオレ色の川を細長いボートで小1時間のぼったところに、その村はあった。 |
|
ボルネオ島の先住民、イバン族の村だ。 イバンの人たちは「首狩り族」として知られる。もちろん今は行われていないけれど、その昔は「首のひとつも狩れないような男は結婚できなかった」そうだ。彼らが住むのは「ロングハウス」と呼ばれる家で、集落の全員がひとつ屋根の下に暮らしている。 個人の家を持たないというのは、どういう感覚なんだろう。建築に関心がある、と言ってもまったく専門知識はないのだけれど、ロングハウスにおじゃましてみたい、そこでの暮らしに触れてみたい、というのが今回の旅行の目的のひとつだった。 ■ロングハウスは高床式で、3つの部分に分かれている。いちばん外側が、日本のぬれ縁のようなスペース。洗濯物を干したり、闘鶏用の大事なニワトリがつながれていたり(普通のニワトリは外にいる)、長いすに座って世間話をしたりする。真ん中は、幅の広い廊下のような空間で、屋根があって集会場などとして使われる。その内側が個人の居室で、台所や寝室がある。ここでは15くらいの家族が暮らしているようだった。 |
|
中に入ると、長老と思われるおじいさんが、魚取りの網の手入れをしていた。若い人たちは畑仕事に出ているという。おじいさんは全身に入れ墨をしていた。首の入れ墨は特に、彫るのにかなりの激痛をともなうため、勇敢な証しだそうだ。 |
|
「集会場」の中央の天井をモハマッドさんが懐中電灯で照らすと、しゃれこうべが5〜6個ぶら下がっていた。「100年以上前のものだよ」。狩った首はロングハウスに持ち帰られ、こうしてみんなが見えるところにかかげられているのだ。 川で水浴びをしているうちに集落の人たちが帰ってきた。歓迎の儀式らしく、お米で作ったワインをいただく。「乾杯」は、「オーハ オーハ オーハ」。甘酒を少し酸っぱくしたような味だ。 |
|
伝統舞踊も披露された。長い羽の帽子に刀と盾を使った男性の踊り。色鮮やかな刺しゅうとコインを連ねたような飾りの衣装で、伸びやかに舞う女性の踊り。木琴のような音色の音楽に合わせて、最後は私も輪に入って踊った。
|
|
■ロングハウスでは、子どもたちが走り回り、女性が洗濯物を取り込んで、食事の準備をし、畑から帰った男たちが語らい、はしゃぎすぎた子どもたちを叱り、犬が寝そべっていた。懐かしいような温かい光景だった。 |
|
夜が更けると、一室からにぎやかな音楽がきこえてきた。「もう少し飲まないかい?」 入れてもらうと、そこにはカラオケが。「まちには行けないし、ナイトクラブなんかないから、これが唯一の楽しみなんだ」。みんなかなりろれつが回らなくなっていた。 「あんたっ、いつまで飲んでるの!」 奥さんが怒って迎えに来るあたりも、いつかどこかで見たようで、ほほ笑ましかった。 翌朝、村をたつ私に、女性が何か話し掛けてきた。モハマッドさんが通訳してくれる。「今度はハズバンドと来てね、って」。「メイビー」と笑って、「トゥリマカシ(ありがとう)」と握手をした。 |
|
■昔ながらのロングハウスは、ジャングルで採れる竹やアイアンウッド(その名の通り鉄のように堅い木)などで作られているけれど、最近はコンクリート造りの、モハマッドさんいわく「モダン・ロングハウス」も。 |
|
「そしてここが、5スター・ロングハウスさ」 | |
カフェオレ色の川から一転、今度は澄んだ水色の湖をボートで渡る。たどり着いたのは「ヒルトン・バタンアイ・ロングハウスリゾート」。 そう、あのヒルトンがこんなところに、しかもイバンの人たちの家と同じ、ロングハウスのホテルを建てているのだ。たぶん、世界でいちばん辺境にあるヒルトン。スタッフの多くはイバンの人たちだ。ジャングルに囲まれたホテルにはプールもあって、イタリア人やフランス人がくつろいでいた。 |
|
ロングハウスだけに横に長く、フロントから部屋まで疲れるくらいに遠かったけれど、どこまでも続く木の床が、お寺の本堂のようで落ち着いた。そして湖に沈んでいく夕日の美しいこと。 夜、湖の上には満月が浮かんだ。モハマッドさんが用意してくれたビールを片手に、畔に座って話をした。静かな風がたぷんたぷんと水面をゆらして、私は満たされた気分で、いつまでもその水音をきいていた。 |
|
▲この感想文TOPへ戻る |